3月6日 宮城県 船越レディース訪問

「船越レディース」(津波に遭った船越小学校の3階で名産の硯石を使ったストラップやペンダントを作っている漁師の奥さんたち)に朝電話が繋がり、急遽雄勝の船越まで行くことにする。石巻の先の大川小学校から更に山をいくつか越えた太平洋側である。

大川小学校の手前を右折して、山を越えると雄勝町。急に景色が変わる。まだ瓦礫が片付けられたというだけ。建物は半分崩れたまま。家々は壊滅。

道もあちこちにひび割れがある中を、再び山を越え船越地区へ。

船越地区も壊滅。家はない。崩れかけた漁協のそばで、漁師さんが船を直していた。

小学校までの道も、小学校だけが建物としては残っているが、そこから海までの間にかつてあった家は一軒もない。もう少し家も残っていて、人が住んでいるから船越レディースの活動があると思っていた私は愕然とした。

船越レディースの人たちは、今は石巻の仮設に住んでいて、そこからこの小学校に通って来てストラップやペンダントを作っているという。「仮設の家でもできることだが、ここに来てすることに意味があるし、みんなと話しながらできるからいい」と言う。

ここで作業をするために、わざわざ車で1時間もかけて津波で壊れた小学校に通う…。効率だけではない何かが私に問いかけてくる。

心から復興を祈って船越小学校をあとにした。この辺境の地の壊れた小学校で、ひたすら村の復活を祈って作業を続ける人たちを忘れ去ってはならない。

午後から、未来塾(発達障害の子どもたちの活動の場)を見学。

ここには震災直後から七ヶ浜の子ども支援や大川小学校の保護者支援に入った別所さんと長谷川さんがいて、佐藤先生が統括者。別所さんと長谷川さんの話を聞くことが今までなかったので、時間をとってもらう。

チームでやってきたこととスーパーバイザーがいることが、このような緊急活動には必須だと言われる。現地にとっても、話を聞いてくれる第三者・専門家がいるかどうかで大きく違うと。

大川小学校と某幼稚園の違いは、保護者の話し合いの場とそこにスーパーバイザーがいたかどうかだと。大川小学校はやっと教育委員会と話し合いの場ができたが、某幼稚園は保護者の支援がなかったために訴訟という最悪の事態となっているし、そのことで保護者が納得しているわけでもない。

しかし、大川小学校や大川中学校に関して、考えてもいなかったショッキングなことを聞いた。どちらも現在は「津波被害のなかった他校に間借りをしている」と報道されるが、私たちは「間借り」という言葉を余り深く考えてこなかったのではないか?

なんとなく、20数人しかいない大川小学校の子どもたちは、今通っている小学校の生徒と一緒に(同じ学年に入って)学んでいると思っていた。(皆さんそう思っているのではないだろうか?)

しかし、違う。間借りとは、本当にその校舎の数教室の場所を借りて、大川小学校の子どもと教師だけが授業をやっているのである。運動会は、場所が借りられずにできなかったという。

「間借りであって合併ではない」と言われても、誰がそんな現実を想像するだろうか!?

「これは大川に限ったことではないと思いますよ。他校に間借りしている学校がどうなっているのかをしっかり実態把握しないと、子どもたちの問題は遠からず吹き出してくると思う」と多くの方が言われる。校庭を仮設住宅で埋め尽くされたために、体育館でしか体育ができない中学では、仮設の子どもが体育館を使うことを拒否するという。

丁寧に現実を見つめ、長く関わることが必要だとつくづく感じる。

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