3月3日  宮城県 大川中学校学習支援

午後から大川中学校の学習支援に同行することになっていたが、「今日の11時から亡くなったF地区の子どもたちの一周忌法要」との情報が入り、一周忌法要に参列させていただいた。お寺に着くと、昨年7月にお会いしたSaさんのおばあちゃんがすぐに見つけて誘い入れてくれた。

 

法要後のお齋も同席させていただいた。

そこで昨年8月に来たときに大川小学校の校庭でさせていただいた追悼演奏をDVDに編集して持ってきていたものをお渡しすると、ずっと(写真奥)BGM代わりに流してくださった。即興演奏も大川小学校校歌も、とてもその場にふさわしく、場を支えていた。

その後、Siさんの方の家に行き、たくさんの親族の中で時間を過ごす。息子さんがすぐにDVDをかけてくれた。音が邪魔ではなく、その場に染みこんで話を支えてくれる。そこにいる何家族もがみな誰かを失っている。姪の子どもがまだ見つかっていないという方もいる。亡くなった子どもさんの祖母とお話しする。「いつも4時になったら帰ってきて、そこの廊下を走って入ってきたからな、まだ4時がだめなんだ…」と。

1年はまだ過ぎ去るには早すぎる

 

英国の新聞が取り上げた大川小学校の記事を見せていただく。

保護者の方々が「人災」だというのは、誰かを責めたいわけではない。しかし、その数日後から教育委員会から出される調査報告が嘘で固められたものだったり、教育委員会の保身体制が見えみえで、その縮図が『校庭から動かそうとしなかった(動かすことの責任を誰もとろうとしなかった)』ことなのではないかと指摘する。

 

午後からは、同じ公民館で中学3年生が4人集まって受験勉強。3月8日が県立高校の受験だという。家では落ち着かない中、週に1回ここで、ここネット緊急こども支援メンバーの方々と勉強してきた3ヶ月の、最後の日に同席させてもらったことは貴重だった。

雑談も入りながら、でも自分の苦手な科目と向き合いつつ、自分なりに「分かった!」を追求してゆく姿に、弟妹を亡くしている彼らにとってこの勉強会の場がいかに大切だったかを感じる。

迎えに来たSaさん(中学教師)と30分ほどお話をする。「教師という立場を捨ててでも我が娘の最後の真実を明らかにしたい」と話してくれた。このSaさんご夫婦とSiさんが中心におられるから、F地区はまとまっていられるのだろうと思った。

家も流され、家にいた祖父母も亡くされた釜谷地区の方々はまた違った状況なのだろう。

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